テレビ、見られることなく垂れ流される情報の洪水
flymanは、かつてテレビのない世界にいたことがある。そこからテレビのある世界に戻ったときに思ったのは、『見きれない!』ということだった。
情報を得る手段の極端に少ない世界から、同時に7つも8つもの番組が平行して流れる世界、それも早朝から深夜までである。見たい番組だけを見るにしても、1日が24時間ではすべてを見ることはかなわないと思ったのだ。
当時、テレビのない世界から来た者としては、有益な番組は『見なければならない』という強迫観念にも似た思いがあったようだ。テレビを見ないことの罪悪感にさいなまれるのだ。
しかしそんな感情も、文明世界に慣れてくると次第に薄れていった。それは一種の諦めだったかもしれない。
さて、いま番組予約をキーワードを指定して行ったりすると、思いの外多数の番組が引っかかったりする。録画用HDDがどんどん埋まっていく。
そんな状況を見ると、またかつてのような『見きれない!』といった悲鳴にも似た感情が沸き上がってくる。
結局flymanの場合、番組録画はタイムシフト的に、すぐに見るものだけに絞り、(いつ訪れるかわからない)後で見るためにとっておく、的なものはやめた方が良さそうだ。
とはいえ、貧乏性なのでやっぱり録り溜めするんだろうなぁ。
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